教会の歴史

教会の歩み(歴史・概略)

2021(令和3)年
第11代 上地 武 牧師 2021年4月1日
上地 武 牧師、首里教会主任担任教師として赴任。
2018(平成30)年
8月「旧会堂塔屋復元感謝コンサート」実施。
2017(平成29)年
8月31日 創立100周年記念旧会堂塔屋復元建築工事完成引き渡し。
10月15日献堂式。
12月竹花和成牧師、辞任。
2016(平成28)年
11月創立100周年記念構築物建築工事着工
2013(平成25)年
4月、教会総会にて「100周年記念構築物の外観は戦前の会堂と塔屋復元を図る事とし、沖縄での戦争の記憶を留める平和のシンボルとして、首里の地に記念として残る建築物とする」を承認。
2012(平成24)年
プレハブ建屋老朽化(築28年)の為取り壊し、空き地となる。
2009(平成21)年
創立100周年記念事業として「記念構築物実行委員会」を設置。
2004(平成16)年
第10代 竹花和成牧師 2004年~2017年
竹花和成牧師首里教会主任担任教師として赴任。
2003(平成15)年
知花真康牧師任期満了のため退任。
1997(平成9)年
7月6日ウェスレー合同メソジスト教会(ホノルル市内在)と姉妹教会提携・調印
1996(平成8)年
5月31日、山里勝一牧師担任教師辞任を承認。(3月末退任)
1995(平成7)年
11月26日沖縄戦後50年特別合同礼拝と講演会(那覇中央教会)
―新たな出発のために―「沖縄戦後50年」にあたって声明を発表。
1994(平成6)年
2月6日日本基督教団志真志伝道所設立(宜野湾市志真志沖縄キリスト教センター2階)
知花牧師は同伝道所の兼務主任教師となる。3月首里教会より同伝道所13名の移籍を承認。派遣式を挙行。
1993(平成5)年
山里勝一牧師担任教師(無給)として招聘。
(志真志伝道所を主に協力される)
1988(昭和63)年
5月15日教会創立80周年記念礼拝及び祝賀会開催。
1984(昭和59)年
4月29日牧師館、教会堂献堂式。
5月6日~10日旧日本メソジスト首里教会(戦災後の教会堂)が保存不可となり旧日本メソジスト首里教会建物保存調査報告書を残して取り壊す。
取り壊し後の敷地内に第二期工事(教育館と一部塔屋)の課題を残し、暫定的にプレハブのCS教室及び厨房を建設する。
1983(昭和58)年
8月14日旧会堂(1952年献堂)での最後の礼拝。
(旧会堂新築のため取り壊し)。工事期間中の礼拝はキリスト教短大の教室にて礼拝を守る。
10月2日牧師館、教会堂定礎式。
1979(昭和54)年
3月「あいか保育園」閉園(会堂、牧師館建設のため)
1978(昭和53)年
5月教会創立70周年記念式典及礼拝を大保義忠牧師を迎えて開催。
1976(昭和51)年
第9代 知花真康牧師 1976年~2003年
4月知花真康牧師主任担任教師、未認可「あいか保育園」園長兼として招聘され赴任。
1975(昭和50)年
10月、金城重明牧師、沖縄キリスト教短期大学学長に就任のため首里教会を辞任。
1972(昭和47)年
3月保育所開設計画を教会総会で承認。
10月3日「あいか保育園」設立。
1971(昭和46)年
仲里朝章牧師80才で退任。
金城重明牧師が主任担任教師に就任する。
1969(昭和44)年
2月25日、日本基督教団と沖縄キリスト教団との合同式典を挙行、合同議定書を交換。
1967(昭和42)年
3月26日「第二次大戦下における日本基督教団の戦争責任について告白(戦績告白)」を発表
1965(昭和40)年
霊園の第一期工事100家族分の納骨室完成。
霊園建設委員会(委員長田崎邦男)
1960(昭和35)年
第8代 仲里朝章牧師と金城重明牧師
1960年~1975年金城重明牧師を担任教師として招聘、赴任。
1958(昭和33)年
仲里朝章牧師、墓地として浦添村(現在は市)宮城原(620坪)を沖縄キリスト教会(現日本キリスト教団沖縄教区)霊園地として捧げられる。
1957(昭和32)年
「沖縄キリスト教会」を「沖縄キリスト教団」と改組。
「沖縄キリスト教団首里教会」と改称。
4月9日当協会にて沖縄キリスト教団立「沖縄キリスト教学院」創設。
1954(昭和29)年
牧師館新築。ハンブリック先生の母教会の募金で建てられた。
賀川豊彦師、比屋根安定師、矢内原忠雄先生の伝道集会を開く。
1952(昭和27)年
2月10日沖縄キリスト教会首里教会堂献堂式。
(嘉手納航空隊米人信徒の献金による)
1950(昭和25)年
「沖縄基督教連盟」を「沖縄キリスト教会」と改組、「沖縄キリスト教会首里教会」となる(6.9)
1949(昭和24)年
第7代 仲里朝章牧師(1949年~1972年)
仲里朝章牧師赴任。
日本メソジスト首里教会定礎式文書(銅筒)を採掘。
1948(昭和23)年
米人宣教師、米軍チャプレンによる問安説教。
旧会堂修理計画のために米軍より大量の板材、砂が送られ、知花歯科の屋敷内に木造仮会堂を建設する。
1947(昭和22)年
トムソン宣教師問安説教
牧港の収容所のキリスト者のP・w10名余、ガードマン付で特別外出許可を得て礼拝参加。
1946(昭和21)年
第6代 佐久原好信牧師(1946年~1948年)
佐久原好伝牧師二男、元読谷山教会牧師(戦後は一時コザで伝導)赴任。
隣の与儀さん敷地内のテント(10坪)で礼拝を守る。その後、かやぶきの会堂兼牧師館(20坪)が教会敷地内に建てられ、そこで集会、牧会。
1945(昭和20)年
教会堂は日本軍の陣地に使われ、首里攻防戦にて破壊される(5月)
1944(昭和19)年
教会員の県外疎開日曜日、日本軍への奉仕作業等で教会の集会困難となる。
教会堂憲兵隊より軍使用の理由で明け渡しを要求され明け渡す。
1941(昭和16)年
日本全国各教派合同による「日本基督教団」設立
1940(昭和15)年
日本軍筋の布教弾圧、外国ミッション援助をことわるよう厳命
その為牧師謝儀困難となり、信徒の献金増額や牧師が首里市役所で事務のアルバイトをする。
1937(昭和12)年
日本メソジスト首里教会附属愛花幼稚園設立
(園長佐久原好伝牧師、保母佐久原秀子)
日中開戦。私服官憲礼拝に来て傍聴。
1936(昭和11)年
伊江殿内内邸より現在地へ移転
5月27日献堂式。その2周間前後より外人の沖縄入域を禁じられ、RSスペンサー師は参加できなくなりメソジスト本部より白戸牧師出席。
1935(昭和10)年
11月25日会堂建築着工
3月2日定礎式にて銅筒を埋める。1949年採掘。
1934(昭和9)年
米国の教会より会堂建築資金5千円献金(推定)
(RSスペンサー宣教師の働き)と教会員による建築献金を積立。
1933(昭和8)年
現在の敷地341坪を婦人会の積立金で購入(坪4円80銭 計1,750円)
現在の敷地は尚円王別邸で尚真王誕生の地、後の天王寺。明治後期廃寺となった。
1923(大正12)年
募金運動再開。
1917(大正6)年

1932(大正11)年
1919年度会堂建築20年計画を立て募金開始、中断。
1916(大正5)年
第5代 佐久原好伝牧師(1916年~1945年)
佐久原好伝牧師読谷より赴任。「日本メソジスト首里教会」として会堂建築計画を婦人科医祈祷団(山城つる姉中心)のもと取り組む。
1915(大正4)年
第4代 野原玄三牧師赴任(1915年)
野原牧師は、聖書の講義の傍ら婦人たちには、いろはの文字を教えて、賛美歌などをよく読めるように努力された。
1914(大正3)年
第3代 木村廣一牧師赴任。(1914年)
県下リバイバル運動起り、早天祈祷会100名余出席。
1912(大正元)年
当蔵町織名殿内より伊江殿内邸内へ移転。
1909(明治42)年
大保牧師、徳之島、亀津へ出張伝導。
第2代 比嘉保彦牧師赴任。(1909年~1913年)
1908(明治41)年
5月13日 県知事の認可を得て日本メソジスト首里教会設立。
1907(明治40)年
初代牧師 大保富哉牧師(1907年~1911年)
大保富哉牧師 当蔵町織名殿内邸内にて開拓伝導開始。
同殿内のメソジスト首里教会には比嘉春潮、屋部憲重、西平守由、比嘉次郎(後の医者 栄真)、山口房良、比屋根安定、照屋寛範、仲吉良光、佐久原好伝氏が通い、基督教青年会を結成。