メッセージ

2020年9月13日 ヨハネによる福音書 6:48~59 メッセージ「命のパン」望月智牧師

(中心聖句)48節~51節
わたしは命のパンである。あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」


「父を見た者は一人もいない。神のもとから来た者だけが父を見たのである。 はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。」(46節~47節) これは本日の聖書の直前にある主イエスの言葉です。私たちは直接的に神を見たり、知ったりすることはできません。聖書を通して主イエスと出会うことによって、神を知り信じることができるのです。

「わたしは命のパンである」(48節)という主イエスの言葉によって、人々の間に議論が起こりました(52節)。
「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる」(54節)は、礼拝で行う“聖餐”の根拠となる言葉です。聖餐とは、主イエスの肉を食べ、血を飲むことを象徴的に行っているといえます。
「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。」(56節)とあるように主イエスが共におられることを教えています。

 本日の聖書にある「永遠に生きる」(51節, 58節)、「永遠の命」(54節)とは、どういうことでしょうか? それは不老不死ではありません。私たちの地上の生涯には、必ず終わりがあります。“永遠”も“命”も神の領域であって、限りある人間がすべてを理解することはできません。聖書が「永遠の命」という時、それは“新しい命に生きる”ことを教えています。私たちは、死ねば朽ちてしまい終わる存在ではありません。信仰により、新しい命と希望に生きることができるのです。

コロナの時代にあって、改めて生きることの意味を考えさせられます。これまでの「当たり前」が当たり前ではありません。信仰により“新しい命に生きる”希望を持って日々を歩みましょう。