メッセージ
2021年2月28日 受難節第2主日礼拝 聖書 マタイによる福音書4:1~11 メッセージ「我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ」望月智牧師
・2月17日よりレント(受難節)に入りました
(中心聖句)3節~4節
すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」
神は“良い世界”を創造されました(創世記1:31)。では、なぜ“悪の存在”があるのでしょうか? 戦争を例に考えてみましょう。一人一人は理性的で良い人たちですが、ひとたび戦争が始まるとナチスドイツのユダヤ人虐殺や、広島・長崎での原爆投下、沖縄戦での日本兵による残虐行為など、“悪魔的な力”が働くといえます。
“魔が差した”という表現があるように、悪の力は時に自分の思いを超えてやってきます。聖書に登場する「誘惑する者、悪魔、サタン」は、得体のしれない悪の力を擬人化したものといえます。
主イエスに対する悪魔の誘惑は、非常に魅力的でした。飢えている時にパンはありがたく、飛び降りてもケガをしないことは素晴らしく、権力を手に入れることも夢のような話です。しかし、その条件は、悪魔(サタン)を“ひれ伏して拝む”(9節)ことでした。
この3つの誘惑を、主イエスは聖書の言葉を引用して退けました。
(4節)『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』 (申命記8:3)
(7節)『あなたの神である主を試してはならない』 (申命記6:16)
(10節)『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』 (申命記6:13)
悪魔の誘惑は、すべて“自分のために神を動かす”ことでした。主イエスは数々の奇跡を行いましたが、苦しむ人のためであり自分のためではありませんでした。
主イエスは私たちに「主の祈り」を教えてくださいました。(マタイによる福音書6章)その中に「我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ」とあります。“悪”は時に魅力的に私たちに迫ります。神の助けと守りを祈りましょう。