メッセージ
2021年1月10日 聖書 ヨブ記28:20~28 メッセージ「知恵と分別」望月智牧師
(中心聖句 20節~21節)
では、知恵はどこから来るのか 分別はどこにあるのか。すべて命あるものの目にそれは隠されている。空の鳥にすら、それは姿を隠している。
(28節)
そして、人間に言われた。「主を畏(おそ)れ敬うこと、それが知恵 悪を遠ざけること、それが分別。」
主の年2021年を迎えました。新しい年も主の守りと導きをお祈りします。
昨年の今頃は考えもしなかったような「コロナの時代」を私たちは生きています。コロナのために、これまでも存在した問題がより大きな問題となっています。社会の格差は拡大し、困難な立場の人はより困難となっています。
沖縄に集中している米軍は、コロナに対しては無力でした。世界最強の軍事力を誇っても目に見えないウイルスに勝つことはできません。世界各地の米軍で集団感染が発生しています。イザヤ書2:4の御言葉が思い起こされます。
「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない。」
聖書は「主を畏(おそ)れ敬うこと、それが知恵」(28節)と私たちに教えています。人の知恵や力で神を完全に知ることはできません。しかし、私たちには聖書を通してイエス・キリストに出会う時に、神と出会うことが示されています。
第1コリント1:26~28では、人の知恵ではなく神の選びによって無力な者が選ばれたことを教えています。
「兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。」