メッセージ

2021年1月24日  聖書 イザヤ書45:9~13 メッセージ「神の創造と救い」望月智牧師

(中心聖句 9節~10節)
災いだ、土の器のかけらにすぎないのに 自分の造り主と争う者は。粘土が陶工に言うだろうか 「何をしているのか あなたの作ったものに取っ手がない」などと。
災いだ、なぜ子供をもうけるのか、と父親に言い なぜ産みの苦しみをするのか、と女に問う者は。

 旧約聖書の時代の大きな試練として「バビロン捕囚」がありました。それは、国が滅ぼされて、数百キロ離れたバビロンに連行される出来事でした。今日の聖書は、約50年間のバビロン捕囚から解放された時代のものです。

 解放され、故郷に戻ることができるわけですが、不平を言う人もいました。なぜなら、ペルシャ王キュロスによって与えられた解放だからでした。熱心なユダヤ教の人は、異邦人(外国人)で異教徒の王による解放を屈辱と考えたためでした。

 預言者イザヤは、そのような不平に対して「土の器」にすぎない人間が「造り主」なる神と争うのか?と教えています(9節)。イザヤは、ペルシャ王キュロスの背後には神の働きがあると考えました。ここにはユダヤ教の枠を超えるスケールの大きな救いが示されています。

 「ペルシャ」といえばクリスマスの「占星術の学者たち(東方の博士たち)」(マタイ福音書2章)も、ペルシャ人といわれています。彼らは星に導かれて旅をして、幼子イエスに出会うことができました。それとは対照的な存在が、ユダヤの律法学者たちでした。彼らは聖書の知識も豊富で、メシア(救い主)はベツレヘムで生まれることを知っていましたが、行動はしませんでした。

 聖書は、私たちが神によって創造された尊い存在であることを繰り返し教えています。
“救い”とは、神によって新たに創造される出来事でもあります。コロナによる厳しい時期は続きますが、神から与えられた大切な宝を守っていきましょう。